2022年10月12日更新

大阪にゆかりのある選手に聞いてみよう!嵯峨根望選手-シッティングバレーボール(パラリンピック)(1/2)

東京パラリンピックではシッティングバレーボールでご活躍の和泉市役所の嵯峨根望選手へのインタビューです。スポーツの魅力や障害にまつわる話など、さまざまなことをお聴きしてみました。

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気さくに対応してくださる嵯峨根選手

記者.よろしくお願いいたします。簡単な自己紹介や出身アピールなどをお願いします。

嵯峨根.嵯峨根望(さがねのぞむ)といいます。大阪府和泉市で生まれ、小中高大学とも和泉市の学校に通っていました。現在は和泉市役所で働いていますので、ずっと和泉市ですね。

記者.小中高もですか?

嵯峨根.全部和泉市内です。大学もです。職場も和泉市内なので。

記者.和泉市のふるさと自慢とかをお願いします。

嵯峨根.和泉市は「トカイナカ」と呼ばれており、昔ながらの里山の風景を残しつつ、買い物や通勤にも便利な町です。都会と田舎のいいとこ取りをしているという意味で「トカイナカ」と言います。

記者.そういうキャンペーンですか?

嵯峨根.キャンペーンではないですが、キャッチコピーですね。。電車で来られました?和泉府中駅前とかは結構開発されている部分もある反面、山やったり田んぼやったり、自然豊かでいちご狩りもできますし。そういういいところが混ざっているイメージです。

記者.いまされているシッティングバレーボールを始めたきっかけは?話せる範囲でお願いします。

嵯峨根.そうですね。もともと小学4年生で(シッティングバレーボールに)出会いました。母親の友達が大阪チームのキャプテンをしていて、連れて行ってもらったのが最初の出会いでした。そこから練習にいくようになってという感じでした。

しかし、中学生になると、学校でバスケットボールが流行っていたので、バスケットボール部に所属しましたので、シッティングバレーボールからは離れました。車椅子ではなくて、義足のままでバスケットをしていました。

そこから、大学生になって高橋明先生の障害者スポーツ論という授業を受講したとき、高橋先生に「昔、シッティングバレーボールをしていました」と話をしたら、「なんで今やってないんだ?!」という話になり、もう一度やってみようと思い、大学4年の頃に再開し始めました。

小学校4年で出会い、中学生になるまでにやってて、それからだいぶ離れて、大学4年の時からもう一回再開したというイメージです。

記者.小学生からのブランクが10年ぐらいあるのですね。

嵯峨根.そうですね。バスケットボールは中学生の3年間だけで、高校時代は運動のクラブには入らずにアルバイトなどをしていました。

記者.今のシッティングバレーボールは楽しいですか?しんどいですか?

嵯峨根.楽しいですよ。大阪の「大阪アタッカーズ」というチームでやっているのですけれど、なかなか強くないので、そこのチームを強くしようというつもりで、楽しくやらせてもらっています。所属メンバーは30人ぐらいです。

記者.ちなみに東京パラリンピックではどれぐらいの成績でしたか?

嵯峨根.東京パラリンピックでは結局1勝もできませんでした。8カ国中8位でした。

記者.ちなみにパラリンピックに出場するのは、初めてでしたか?

嵯峨根.僕は初めてのパラリンピックの出場でした。パラリンピックに出るにはアジアで優勝しないといけないのですが、アジアには強豪が多く、パラリンピックへの切符を取ることができなかったのです。僕が始めたときに、ロンドンのパラの切符を落とし、リオのパラの切符を落とし、東京パラは開催国枠だからということで出場につながりました。

記者.ちなみにシッティングバレーボールは通常バレーと同じルールですか?

嵯峨根.ルールは違います。お尻をつけてやります。

記者.人数は6人ですか?

嵯峨根.一緒ですね。6人で1チームです。ジャンプがないので、ネットは低いです。男子が1m15cmのネットで女子が1m05cmの高さですね。座って手を伸ばすと手首の下まで出るような高さです。

記者.スパイクを打つこともできるんですね。

嵯峨根.できますよ。お尻をつけたまま打ちますが、強烈なスパイクが飛んできます。コートも狭くて、一般のバレーは9m×9m、片面5m×6mという狭いコートです。

記者.少し小さめなんですね。セッターとかリベロの選手もいますか?

嵯峨根.いますよ。リベロの制度もあります。僕はセッターというポジションですね。

記者.次回のパリパラリンピックもすごく楽しみですね。

嵯峨根.僕自身は日本代表としての活動は、東京パラリンピックで引退していますので、パリパラリンピックはめざしていないです。ただ、新しいメンバーが加入しているようなので、パリパラリンピックの切符を獲得してほしいです。

記者.アジアではどこの国が強いですか?中国、韓国が強いですか?

嵯峨根.イランと中国が強いのです。イランがずっと世界ランキング1位と言う感じですね。

記者.このチームを倒さないと出場権が得られないのですね。

嵯峨根.そうなんですよ。アジアパラ競技大会でも8カ国中6位という成績になるので、世界の壁は非常に高いですね。

記者.シッティングバレーボールの醍醐味を教えて下さい。

嵯峨根.バレーボールには、共通することだと思うのですが、一個のボールを追いかけることだったり、誰かのミスを誰かがカバーしたり、みんなのチームプレーの大切さでしょうか。

あとはシッティングバレーは通常のバレーボールと違ってネットが低い分、展開が速いんですね。その展開の速さも魅力かなぁって思います。ボールもネットが低い分、すぐに返ってきますし、通常のバレーでは1,2,3で返すようなところも、シッティングバレーボールの場合は、1で返したり、2本目で返したり、すぐに相手コートに返したりというようなこともあるので、そのような点が魅力なのかなって思います。

記者.日本代表は引退されているけども、シッティングバレーボールの競技は続けているのですか?

嵯峨根.もちろん続けています。大阪のチームで練習しており、体験会なども実施しています。

記者.代表のチームから大阪のチームに移られたという?

嵯峨根.いえいえ、もともと大阪のチームでずっとやってて、代表チームはそれらから招集されるイメージなのです。代表を離れてもずっと大阪のチームでやっています。

記者.周りの方の応援や支援や協力とか感じるときはどういうときに感じますか?たとえば応援団があるとか?

嵯峨根.協賛してもらっている企業があって、ユニフォームと横断幕をトヨタカローラ南海様・ネッツトヨタ南海様が協賛してくれています。そういう支援を受けたりはしています。東京パラが終わったときには、本社に報告も行かせていただきました。

あとは、練習に行っているわけなので、家族に迷惑をかけながらではあるのかなぁと思いながら続けています。応援はしてくれています。

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ペルオンとは?

ペルオンはホープグループ、ミッション株式会社を母体にしたペルオン実行委員会が制作してるポータルサイトです。

障害の当事者が作る当事者目線のサイトが作れないかと思い、サイトを立ち上げました。ペルオンという名前はPersonnes handicapées(ペルソンヌ・オンディキャピー)の略で、障害者仲間という意味からとりました。

当事者会・支援団体・家族・地域・職業・年齢などの枠を超えて、障害者に関係する全ての人が連携して、さまざまなことにチャレンジし、障害者の可能性を探ってまいります!

ペルオンに興味を持ったあなた!もうすでに、仲間なんです。

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