2023年5月19日更新

大阪にゆかりのある選手に聞いてみよう!大阪マラソンで世界新記録・和田伸也選手-陸上(パラリンピック)(1/2)

東京パラリンピックの陸上で銀メダル、銅メダルを獲得され、大阪マラソン2023では自身が持つ視覚障害のクラスで世界新記録をマークされた、長瀬産業所属の和田伸也選手へのインタビューです。スポーツの魅力や障害にまつわる話など、さまざまなことをお聴きしてみました。

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誠実に対応してくださる和田選手

―自己紹介・競技歴―

記者.今日はよろしくお願いいたします。2月26日に開催された大阪マラソンで見事世界新記録(2時間24分29秒)を樹立されました。本当におめでとうございます。

和田.ありがとうございます。大阪は地元ですので、たくさんの方に応援いただき、力になりました。世界記録という結果に対してもお祝いの声を多くいただき、反響の大きさに驚いています。

記者.和田選手の強さの秘訣など、お話をおききできればと思います。さっそくですが、まずは簡単に自己紹介をお願いします。

和田.出身は大阪です。幼少期は堺市に住んでいましたが、そこから松原市に移り、今は茨木市を拠点に活動しています。2018年9月から長瀬産業株式会社に競技専念の選手として雇用され、5年目になります。

長瀬産業に入社するまでは市民ランナーとして活動していて、ロンドンパラリンピック、リオパラリンピックを戦いました。2009年から強化指定を受け、パラリンピック、世界パラ陸上競技選手権大会、アジアパラ競技大会といった国際大会に、日本代表として15回ほど参加しており、パラリンピックでは、ロンドンで5000mの銅、2021年の東京で5000mの銅、1500mの銀の3つのメダルを獲得しました。パラリンピック以外の世界選手権、アジア大会も含めると金メダル4つ、銀メダル5つ、銅メダル5つを獲得しています。競技歴は間もなく14年になります。

東京パラリンピックではメディアで多く取り上げられ、1500mで銀メダルを獲得したのですが、パラリンピックで銀メダルを獲得したのは初めてでしたし、5000mの銅メダルとあわせて複数獲得したのも初めてでした。3回目のパラリンピックで良い結果が出すことができたことは大きな喜びでした。

―視力を失ってから競技を始めるまで―

記者.障害のこと、陸上を始められたきっかけ、転機などをお聞かせいただけると嬉しいです。

和田.幼少期は目が見えていましたが、周りの子に比べると、若干視力は弱かったです。小学生の頃は、サッカーなどの球技をやり、中学高校はラグビー部に所属し、部活に打ち込みました。走りはしますが、陸上とは関係ない生活を送っていました。高校生になっても、10kmぐらいしか走っておらず、フルマラソンなど走ったことがありませんでした。

私の病気は「網膜色素変性症」と言う目の病気です。日常生活に影響が出始めたのは高校2年生ぐらいのころです。その頃、視野が急に狭くなり、ボールが目で追えなくなり、2年生の秋にはラグビー部を退部せざるを得なくなりました。そのあたりからスポーツから縁遠くなってしまいました。

図書館で病気のことを調べました。失明の可能性があると知り、将来に対する不安と、ラグビーを最後まで続けられなかったショックで、学校があまり楽しめない時期もありました。そうこうしている間に大学受験も始まり、受験勉強をしながら気を紛らわしていました。

大学3回生のときに視力が全くなくなりました。点字を勉強しないといけない、白杖を使って通学できなければ大学も中退しないといけない…という現実があったので、視覚障害者としての基礎的な技術を身につけるために、日本ライトハウス(大阪市鶴見区)という視覚障害者のリハビリテーション施設に通いました。1年3カ月ほど訓練を受けましたが、そのうち1年間は大学に通いながら通所しました。学習方法を点字に切り替えるなどして、無事に大学生活を送ることができました。読み書きも問題ないようにパソコン操作を覚えて、論文を書いたりしました。

卒業、就職を経て2004年に大阪府視覚障害者福祉協会の正規の職員になりました。スポーツをやりたいなとは思っていましたが、最初は目が見えない状態でどんなスポーツができるのか良く分かっていませんでしたが、まずは走りたいなと思いました。当時は伴走者(ガイドランナー)の存在を知らず、知り合いから視覚障害者のランニングチームである「鴨川パートナーズ」の存在を教えてもらい、メンバーになりました。ここで、伴走者と視覚障害者がロープ一つでつながり、白杖も持たずに2人3脚で走れるということを教えてもらい、気持ちよく走ることができました。最初の練習では1時間ぐらいしか走れませんでしたけども……。

2006年にジョギングを始めた当初はまだパラリンピックを目指すような余裕も意識もありませんでしたが、ランナー仲間の皆さんが色々なレースに参加していることを知り、自分も出てみようと2007年11月に福知山マラソンに初めて出場。3時間7分という良いタイムで走ることができました。3時間を切ればパラリンピックに出場する選手たちと一緒の立場になれるということで、周りからの期待もあり、だんだん自分もその気になってきて、福知山マラソンで走るたびに記録を更新していきました。2009年から強化指定選手に選ばれ、そのあたりからパラリンピックを意識し始めました。

高校の時はショックなことばかりでしたが、一つ一つ課題をクリアしていくことで、卒業・就職と課題をクリアしていき、新たな道が見つかり、パラリンピックにつながりました。振り返ってみると経験がずっとつながってきた結果ではないかと思います。すべては今につながり、歩みを止めなかったことが本当によかったなぁと思っています。

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ペルオンとは?

ペルオンはホープグループ、ミッション株式会社を母体にしたペルオン実行委員会が制作してるポータルサイトです。

障害の当事者が作る当事者目線のサイトが作れないかと思い、サイトを立ち上げました。ペルオンという名前はPersonnes handicapées(ペルソンヌ・オンディキャピー)の略で、障害者仲間という意味からとりました。

当事者会・支援団体・家族・地域・職業・年齢などの枠を超えて、障害者に関係する全ての人が連携して、さまざまなことにチャレンジし、障害者の可能性を探ってまいります!

ペルオンに興味を持ったあなた!もうすでに、仲間なんです。

トピックの分類
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「障害」の表記について

当サイトでは、「障がい者」を「障害者」と表記しています。

「障がい者」という表記の場合、音声ブラウザやスクリーン・リーダー等で読み上げる際、「さわりがいもの」と読み上げられてしまう場合あります。そのため、「障害者」という表記で統一をしています。

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