2021年5月19日更新

ウキョウの鉄道探訪記

鉄道が大好きなウキョウさんが送る、関西の様々な鉄道の路線、駅などなどの「ここが魅力」を伝えてくれるコラムです。一緒にあの路線、この駅などを旅してみましょう。

第10回 JR西日本・広島電鉄 西広島駅 (広島市西区)

今回で10回目となりました。ご覧いただきありがとうございます!そんな第10回は広島編の2回目で、広島・西区の己斐(こい)にある西広島駅です。

JR駅名標

西広島駅は1897年(明治30年)9月25日、広島~徳山間開通に伴い己斐駅として開業しました。この駅も1945年(昭和20年)8月の原爆投下で被爆し、翌日に長崎行きの避難列車が運行され、1969年(昭和44年)10月に現在の西広島駅に改称されました。

跨線橋

駅構造は1番乗り場(宮島口・岩国方面)が単式、2・3番乗り場(広島・三原方面)が向かい合わせの島式になっており、改札が1番乗り場方にあるため、広島方へ行くには跨線橋を渡ります。階段を登ったり降りたりしているとギシギシと音が鳴っていました。平日の快速「通勤ライナー」は停車しますが、休日の快速「シティライナー」は通過します。

発車標

それでは、次は広島電鉄の西広島駅を見てみましょう。

広電駅名標

広電西広島駅は市内線と宮島線の境界駅となっており、さらには軌道線(路面電車)と鉄道線の境目でもあります。

元々は1912年(大正元年)12月8日に宮島線の駅として開業し、市内線ホームは己斐電停という別の施設にありました。1962年(昭和37年)に本線と宮島線で直通運転されたことがきっかけで、2001年(平成13年)11月1日に己斐電停との統合が行われ現在の広電西広島駅ができました。己斐電停として使われたホームは2018年(平成30年)まで残っており、自転車置き場と露店スペースとして使用されていました。

では、車両を見ていきましょう。

3900形 ぐりーんらいなー
1990年(平成2年)12月、路面電車である市内線から鉄道線の宮島線を直通できる車両としてデビュー。

3950形 Green Liner
1997年(平成9年)12月デビュー。原爆ドーム前駅で撮影。

3900形のマイナーチェンジ車であり、「グリーンライナー」と名付けられた最後の車両。

ここから先は広島電鉄そのもののお話になるのですが、広電は1912年(大正元年)11月23日に広島駅前、八丁堀、紙屋町を軸に開業したことが始まりで、現在では1~3号線と、5~9号線の8系統と、臨時の0号線が運行されています。(4は忌み番であるため無し)

路線図

現在の路線網が少しずつ成立していく中、初開業から33年後の1945年(昭和20年)8月6日、朝の8時15分に人類史上初の原子爆弾が広島に投下されました。

当時51棟あった広電の建物は1棟をのぞきすべて損壊、在籍車両も123両のうち108両が被災、(全焼22・半焼3・大中小破83)被害は28,150mに及びました。

宮島線は、車両、変電所など設備が郊外にあったため被害が比較的少なく、翌日の7日には草津~広電宮島口駅間で運転が再開され、8日には全線でスピード復旧されました。

被害が甚大だった市内線も軍の協力も入り即座に電柱を建て、電線を引き直し廿日市からの送電で9日には現在の西広島(当時:己斐電停)~天満町まで復旧しました。ここで有名な話なのが、当時男性社員は兵役に出ていたため、広島電鉄家政女学校の女学生が終戦まで乗務員として業務にあたりました(その女学校は9月で閉校されました)。その時使われた車両は2~3両。運賃が払えない乗客がいたため、請求は行われませんでした。

8月15日に終戦し、3日後の18日には本来送電が行われる千田町の設備が復旧しました。そこから開通が進み、土橋、十日市町、本川町などの駅が再開し、被爆1ヶ月後の9月には中心街である八丁堀、紙屋町まで復旧し、12月には全線再開となりました。その他の路線も順調に進み、1952年(昭和27年)までには全路線が復旧されました。

日本の鉄道は安全さ、正確さと、災害などが起こっても迅速に復旧されている所がホントすごいですね。

写真はありませんが、1942年(昭和17年)10月にデビューした650形は製造され運用に就いていた全5両が被災を受け、「被爆電車」として知られています。なんと、この5両全て(651号~655号。特に653号、654号が大破、655号は全焼)が1948年(昭和23年)11月までに見事に修復され、653号は2009年(平成21年)に運用を離れてから貸切専用として、654号は2006年(平成18年)8月から広島・安佐南区の「広島市交通科学館・ヌマジ交通ミュージアム」に静態保存されています。655号は1967年(昭和42年)にトラックと衝突し大破、そのまま廃車となりました。

そして令和の現在も現役なのが当時被害が比較的少なかった651号と652号であり、特に8月6日には必ず投下時刻である8時15分に原爆ドーム前に着く運用に就いています。貸し切り列車としても指定でき、平和学習の一環としても使われています。

あのような悲劇は再び起こってはなりません。650形は広電により永久保存が決まっています。被爆後の復旧の起点となった現在の西広島駅を今回はご紹介しました。

さあ、次回はいよいよ安芸の宮島へ繋がる、宮島口駅へ行きます!

最後に、新型コロナ(COVID-19)で様々なイベント・キャンペーンが中止になったり、様々な形の自粛が全国各地で要請されています。外出の際もマスクの着用、手洗いうがい、消毒を忘れずにしましょう。

  • ウキョウ

    大阪在住。特別支援学校(旧:養護学校)卒。鉄道、ゲーム、バスケ観戦などが好きな多趣味な若者です。自閉症スペクトラム障害 (ASD・B2)を抱えています。
    普段は就労継続支援B型施設に通っています。ここでは関西を中心に様々な鉄道の路線・駅などについてご紹介していきます。よろしくお願いいたします!

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